小さな頃から、大人が私に対して与える評価は、「感受性の強い子」「繊細なので接し方に注意が必要」「扱いづらい」「少し問題のある言動」、そんなものだった。小学校から中学校へ、中学校から高校へ送られる内申書には、そんな記述があった、らしい。(これは後に先生から教えられたこと)
世界で生きていくうえで、感受性だとか、精神的な繊細さなんて役に立たない。邪魔にしかならない。
持って生まれた感受性を殺し、精神的な図太さを身につけたいと、常々思っている。
(人と少しずれているかもしれないけれど)絵を見たり、歌を聞いたり、本を読んだり、ほら、ネットでよくある(釣りかもしれない)心の温まる話なんかを読んだり、テレビのニュースを見たりして、涙が浮かぶことが多々あって、いらつく。そういう自分に、いらつく。そういうものに心を動かされる自分に、いらつく。
不動の心を手に入れたい。
それなのに、神様っているのじゃないかなって時々思ってしまう。
病気のお母さんを微笑ませた通りすがりのサラリーマンのおじさんも、実は神様が人のふりをしてやってきたんじゃないかなって思ってしまう。
人の善意なんて信じていないから、だから、神様なんじゃないかなって思ってしまう。
ああ、だけど、善意も悪意も、人のものじゃないの。
そして、ねぇ、たぶん、悪意よりも多くの善意で、私の周辺世界は、成り立っているのじゃないの。
そう信じたい、甘えた部分が、私には多すぎる。
とても、とても、愚かしいけれど。
私の母はがんで亡くなったんですが、
亡くなるしばらく前に体の調子が一時的に良くなり、外出を許されました。
母は銀座へ行きたいといい、
買い物や食事をゆっくり休憩を挟んで楽しみ、最後に日比谷公園へ行きました。
若い頃、父とよくデートしたとか、野音でコンサート見たとか、
いっぱい思い出が詰まってる懐かしいところです。
母は、そこで写真を撮って欲しいといいました。
花壇にきれいな花がいっぱい咲いていて、お天気が良くて。
でも、その前に立つ母は、改めてみると本当に衰えていて、
生気がなくて・・・明るい公園に楽しそうな人がいっぱいの中、
あまりの違いに、私は泣きそうになってしまいました。
そしたらそこへ通りかかった普通のサラリーマンのおじさんが、
「お!いい女だなあ」と母に言ってくれたんです。
痩せて、顔色も悪く、一目見て健康ではないとわかる母に。
・・・母は照れくさそうに「いやあねえ」と笑いました。
写真の中には、その笑顔が残ってます。
おじさん、本当にありがとう。
あなたは何気なく言ってくれたのかもしれないけど、
私には本当に優しい、神様みたいに見えました。
長文になった。スマソ